2008年7月9日夕方のUTYテレビニュースで躑躅ヶ崎武田氏館の大手口に造成中だった公園が完成したと報じられました。
4月に武田神社の裏手(北側)を歩いてみたのですが、御隠居曲輪南スポット公園から大手口の方に下ってきた時に、この公園造成に気が付いて写真を撮ってありました。芝生を育成中という掲示があり工事は完成して公開を待つばかりなのだと思いました。
このページに掲載の写真は2008年4月半ばの撮影です、最新の情報は時間がある時に出かけて確認したいと思います。
2006年4月29日に三日月堀の見学会に参加したので全体の様子は分かっていましたが、鍛冶小路から惣堀を渡る木橋が復刻されて三日月堀・石塁に至る部分が公園になっていました。当時の街の様子は武田二十四将の屋敷跡案内図から推測できます。
木橋の東詰にこの躑躅ヶ崎館と公園の案内板が立っています。鍛冶小路の南を見ると土橋の遺構がそのまま残されていて、今後の第二期、第三期と続く武田氏館遺跡整備計画で手が入れられるものと思います。
テレビニュースでは三日月堀は復活せず、徳川時代になってその上に造られた石塁を復刻したとのことです。武田時代と秀吉、徳川時代にも短期間使われたという二重構造がある武田氏躑躅ヶ崎館遺跡は、学問的に正確な、そして歩いても楽しい遺跡公園として甲府市の目玉の一つになることが期待できます。
舞鶴城公園も山手門歴史公園にも同じ問題を感じるのですが、この公園でも遺跡としての意味を壊さずに木陰と休息所の確保を解決しなければならないでしょう。
武田氏館跡整備計画の全体図としてUTYニュースのキャプチャ画面を使わせていただきます。
整備計画は2008年1月10日に市長発表があり、私は武田氏館跡周辺の整備計画を書いています。