信玄公祭り

武田勝頼夫人北条氏自筆願文

山梨県韮崎市にある武田八幡神社を訪問しました。神社の由来などは、「武田家の史跡探訪」から「武田八幡宮」をご参照ください。私の訪問の目的はページタイトルの通り、北条夫人の自筆祈願文の碑でその文章を確認する為です。

この祈願文の事を知ったのは2007年の信玄公祭りが終わった後でした。甲州軍団出陣に際して出陣式典が行われますが、その時に読み上げられる文章の基になったのが北条夫人の祈願文であることを、この信玄公祭りの創設に関わった方から直接お話を伺うことができたのです。

以来、武田八幡宮訪問は私の予定表に加わったのですが訪問できたのは2008年第38回信玄公祭りを間近に控えた時でした。韮崎市サイトに「武田勝頼夫人北条氏祈願文」、画像とテキストがありますが、このままでは私には意味が読み取れません。石碑を参考にして以下のように漢字混じりに編集しました。
甲州軍団出陣の式典で読まれるテキストがどのようなものか未だ知りません、機会を待ちたいと思います。

武田八幡神社
碑の上部は原本、下部は読み下し文
武田八幡神社
読み下し文には郷土史家佐藤八郎氏による漢字が添えられています
うやまって申す 祈願の事

南無帰命頂礼 八幡大菩薩 此国の本主として 武田の大郎と号せしより此かた 代々守り給ふ ここに不慮の逆臣出来たって 国家を悩ます よつて勝頼 運を天道にまかせ 命を軽んして 敵陣に向かふ 然りと雖ども 士卒利を得ざる間 その心まちまちたり なんぞ木曾義昌 そくばくの神慮をむなしくし 哀れ 身の父母を捨てゝ 奇兵を起こす これ自ら母を害する也 就中勝頼累代重恩の輩 逆臣と心をひとつにして たちまちに覆さんとする 万民の悩乱 佛法の妨げならずや そもそも勝頼 いかでか悪心なからんや 思ひの炎天に揚がり 瞋恚なを深からん 我もここにして 相ともに悲しむ 涙又闌干たり 神慮天命まこと有らば 五逆十逆たる類 諸天 かりそめにも加護有らし 此時に至って 信心 私なく 渇仰肝に銘ず 悲しきかな 神慮まこと有らば 運命此ときに至るとも 願わくば 霊神力を合わせて 勝つ事を 勝頼一己に付けしめ給い 敵を四方に退けん 兵乱 還って 命を開き 寿命長遠 子孫繁昌の事
 右の大願 成就ならば 勝頼 我ともに 社壇 御垣 建て 回廊 建立の事 敬って申す

天正十年二月十九日          源勝頼  内

漢字変換は碑の読み下し文に準じて読みやすくしたものです、濁音は編者が付けています
武田八幡神社
石碑裏面の由来記
武田八幡神社
二の鳥居(山梨県指定有形文化財)
武田八幡神社
総門

武田八幡神社
歩いて登ってきた、はるか下に二の鳥居を確認
武田八幡神社
舞殿から拝殿を見る
拝殿の脇に北条夫人祈願文の碑がある

武田八幡神社
本殿(重要文化財)
この中は入れない、拝殿から裏手に回り柵から見る
わに塚の桜
わに塚の桜(帰途、場所だけ確認した)
二の鳥居から徒歩数分

 
2019年9月26日、以下のようなニュースがありました。

重要文化財の武田八幡宮本殿で竣工奉告祭(YBS山梨放送ニュース)
 国の重要文化財に指定されている、韮崎市の武田八幡宮本殿の保存修理工事が完了した。
 竣工奉告祭が26日に行われ、約半世紀ぶりに修復された檜皮ぶきの屋根などが披露された。
 武田八幡宮の本殿は、1541年に武田信玄が再興したとされ、90年前に国の重要文化財に指定されている。
 その本殿は、檜皮ぶき屋根が傷んだため今年3月から、ほぼ半世紀ぶりにふき替え工事が行われていた。
 竣工奉告祭には、神社の総代や市職員ら約20人が参加し、工事の終了を祝った。
 機械を使わず、すべて手作業で仕上げた職人に対する感謝状の贈呈もあった。
 韮崎市は「今後も大切に修復・保存し後世に残していきたい」としている。

40年ぶりの修理 武田八幡宮 本殿屋根の修理竣工(UTYテレビ山梨ニュース)
 山梨県韮崎市にある国の重要文化財、武田八幡宮でおよそ40年ぶりに行われていた本殿の屋根の修理が終わり、9月26日、竣工式が行われました。
韮崎市神山町にある武田八幡宮は戦国時代に武田信玄公によって本殿が再建され、国の重要文化財にも登録されています。
この本殿の屋根は今年3月からおよそ40年ぶりに修理が行われていましたがこの日竣工式を迎えました。
修理は、金属の釘を使わない信玄公の時代と同じ工法で行なわれ檜の皮を敷いた美しい屋根に仕上がっています。