自治基本条例市民案の説明会
つくる会内部で検討されている条例前文案、以下の(ア)から(キ)が説明されました(プログラムの4)。7つの前文案にはそれぞれ提案者がおられ、自治基本条例の前文はこのようであって欲しいという熱意あるお話でした。テーブルに分かれた参加者同志で前文としてどれが適当か、何を考えるべきかなどを話し合いました。そのまとめを各テーブルのコーディネーターさんが報告したというのが、上記プログラムの7と8です。プログラム6の江藤俊昭教授のミニ講演を後回しで進行しないと時間が足りないほどの熱心な会合でした。江藤教授のコメントは9・講評の段階でいただけたように記憶しています。
参加者からの意見は甲府市の自治基本条例ホームページにアップロードされています。「甲府市自治基本条例をつくる会会員市民説明会開催報告書」から3回分の記録〜テーブル別意見交換(内容別紙)〜はそれぞれPDFファイルで入手できますので、ここでは内容紹介を省きます(後の記事で引用させていただく場合があるかも知れません)。
前文の原案
私たち甲府市民を取り巻く社会的環境は、国をあげて大きく変わりはじめている。
地方分権の時代となり、それに合わせ自治能力が一層求められている。国より権限の移譲が進み自治体運営は新たな時代を迎え自己責任による基本政策の作成、実施、評価、課題の作成等が住民の手によることが求められている。ここに以下の目標理念をかかげ新しい時代に対応するため甲府市自治基本条例を制定する。
私たち甲府市民は、平和都市を心から希求し、甲府の豊かな自然と文化を次世代に誇りと豊かさを継承する循環型社会をめざします。
一人一人が住んでよかったと思う人と人の共生や男女が参加協力できる連帯感のある福祉社会を目指します。
働く意欲に答えられ特色ある産業の育成や人間としての豊かな生活を創造すべく社会生活の基本を充実いたします。
そのためには議会制民主主義を発展させ市民の積極的な代弁者としての議会の仕組みや首長や行政との連携を強化し、市民・議会・行政の役割、分担を明確にし、三者の協力と協働による市民自治をめざす社会の創造をめざします。
ここに、市民は主体的な行動の自覚と責任ある姿勢で規範に満ちた社会生活を営むことをめざし条例の中の条例として最高規範の基本条例を制定する。
山紫水明の県都甲府市は、四方に山を巡らす美しい自然に恵まれ、先人たちが長い年月をかけて築いてきた歴史と伝統的な地域文化・知恵を、今日まで大切な財産として受け継いできました。
この豊かな土地から生まれた産業の振興、支えあい・助け合いの輪、そして新たな構築に向けての市民力を高めるためには、市民主権の住みよいまちづくりの思いを定めた[甲府市民憲章]の精神のもとに、都市機能と自然環境が共存し、世界と接点を持つ高い文化を継承できる持続可能なまちづくり構想が必要です。
今、地球規模で問われている温暖化による生態系の変化や異常気象など、現在社会の抱える課題は、甲府市においても例外ではありません。市民一人ひとりが責任をもって参画・協働し、経済活動への影響も踏まえた取り組みを実践していくときです。また、戦争による空襲を体験した市として語り継ぐ平和への希求を、恒久的に次世代へ受け継いでいく責任があるといえましょう。
私たち市民は、市民・市議会・行政の役割や関係を明確にし、この深刻な少子化時代において、子は社会の宝とし、日々の暮らしの中で、市民の底力がまちづくりに発揮されるような地域協働社会の実現を目指して、甲府市自治基本条例を策定します。
日本のヘソに位置するといわれる甲府市は、霊峰富士、白根三山と山梨流に呼ばれる間の岳、農鳥岳の北岳(富士山の次に高い)鳳凰三山、甲斐駒ケ岳、八ヶ岳ともろもろの霊峰に幾重にも囲まれた中に暮らしてきました。
武田の時代から甲州八珍果、水晶細工、印伝、煮貝と自然と共生の中で積み重ねた技の歩みが続いています。源頼朝以来の分権といわれる一大変革は武田時代の住民と同じような感じで生きるのかも知れません。
連山をくくりぬける水のおいしさは、ここに住む私達の幸せであり、誇りです。金峰山より発する甲府の水源荒川は市民一人ひとりが心して水源林の涵養に努めていきましょう。この山河を守り生きる私達は、小さな田舎の町、歴史と文化を大切にする町、緑の多い町と共通な願いをもっていると思います。
祖母達の口ぐせ「上を見ればきりがねえ、下を見ておいでなって」を思い出し、なによりも「もったいない」を心に復唱しながら、恒久平和を願って行きたいと思います。
私たちは、先人たちが築き上げてきた歴史、文化、自然を活かし、未来を担う子どもたちが健やかに育つことができる平和なまち甲府とするため、市民、市議会、議員、及び市長その他市職員の協働と参画によって、公正で平等な社会の仕組みを次の世代につなげていくことができる社会の実現を目指し、この甲府市自治基本条例を策定します。
甲府市は、8つある海なし県の1つの山梨県のほぼ中心で、市役所は、標高261m、東経138度35分、北緯35度40分にあります。
甲府市は、1889年(明治22年)7月1日市制施行により誕生し、1937年(昭和12年8月1日)相川、貢川、国母、里垣、1942年(昭和17年4月1日)千塚、1949年(昭和24年12月1日)池田、1954年(昭和29年10月17日)大里、甲運、千代田、玉諸、能泉、宮本、山城、2006年(平成18年3月1日)上九一色の一部、中道の各地域を合併しました。
甲府市の標高の最高は金峰山(2599m)、最も低いところは大津町(250m)で、日本列島を南北に分けるフォッサマグナや、温泉の産みの親の富士火山帯の上にあります。笛吹川や荒川が流れ、扇状地が発達し、葡萄棚の景観は、よそから来た人々を驚かせます。
甲府市の木はカシで、これは縄文・弥生の時代から、人々が住んでいたことを示します。古墳時代、律令時代、武士の時代、近世を経て、私たちは、甲府大空襲の体験をしました。豊かな自然はときに荒れ狂い、人智は破壊をもたらしました。
地方分権、地方自治の時代になりました。過去の苦い体験を顧み、今、甲府市自治基本条例の誕生を迎えます。私たちと、私たちのaaaが、末永く平和で心も体も健康で、智恵を集め合い、話し合い、助け合い、お互いが納得して暮らしていく、豊かな毎日を作り上げることを謳います。
遥か昔、縄文のころからの悠久なる歴史のもとにある甲府、産業や伝統文化がこのすばらしき風土の中で育まれ現在があります。
しかし、私たち甲府市民を取り巻く社会的環境は国を挙げて大きく変わり始めています。地方分権の時代となり、それに合わせ自治能力がより一層求められ、国からの権限移譲が進み、自治体運営は新たな時代を迎え、自己責任による基本政策の策定、実施、評価、課題の作成等が市民の手によることが求められています。
また、時代が進むとともに、自然環境の破壊や環境汚染が進み、地域社会の人の連携が少なくなり、少子高齢化が進み、住みにくい町になっています。
今こそ、地方の時代、地域社会が協力し合い、連帯と連携を深める事で、我々自身が住みやすいまち、住んでみたいまち、行ってみたいまちを、市民自身が自らの手で甲府をつくりあげていくことが必要です。
21世紀を迎えた今日、焦土と化した甲府の復興と、先人が積み重ねてきた歴史、培ってきた文化、守り育ててきたかけがえのない自然などの貴重な財産を、次世代に引継ぎ、平和で誰にとっても暮らしやすく、生きていて楽しいと感じることのできる甲府のまちを、自治の担い手である市民と市議会、及び市長とがそれぞれの役割を分担・補完して協働のもとで創造していかなければなりません。
そのために、日本国憲法に保障された地方自治の本旨にのっとり、市民とその信託を受けた市議会、市長との間で将来にわたり共有すべき考え方や、自治を実現していくための「しくみ」を自ら定めることが必要です。
県都甲府市は、甲府盆地一帯の広域的な地域連帯を担う責任自治体として、時代に対応した新市の目指すべき将来像を創造する基本構想を、生活者・市民を起点として、政策・事業を展開するためにも、市民が市民の手で、市民の責任で主体的にまちづくりにかかわっていくことが必要です。
地方分権の流れの中で、このことは市民自治の原点であり、これを確実なものにすることが今こそ求められています。私たちは、誰もが市民としての誇りを持ち、一人ひとりの人権が尊重され、市民自治が保障される地域社会の創造を目指し、ここに、「こうふの自治基本条例」を制定します。
しかし、甲府の歴史も地勢もまだよく知らない私としては、これらの前文を読むだけで甲府市が分かってくるような気がしますから、その事は素晴らしいものと思います。また、そのような前文は後にこの自治基本条例を読む人々が、市民は制定に際し、その時代の中で何を想い考えてこれを決めたのかが読み取れるということでもある訳です。
そのような歴史性のある前文というのも悪くはないですが、それらを踏まえた歴史を超えた一つの軸を明確にすることに前文の意義があるように考えています。全ての人々の「協働と参画によって、公正で平等な社会の仕組みを次の世代につなげていく社会の実現」、それは日本の政治体制が変わらない限り普遍のものであると考えています。
最終決定される前文がどのようなものであれ、上記7つのご提案前文は、別な形で保存され継承していくことは可能だと考えています。何故なら、このようにWebページ一つで済んでしまうのですから・・・