甲府歳時記

節分と鬼と幕絵

2008年の2月3日に甲府は大雪で節分会にも出かけませんでしたので、1月末に撮っておいた幕絵コンクールの写真をWebページに載せる作業をしました。公募作品10点が展示されていたはずなのですが撮影忘れたようで9点しか画像が無い。

2007年2月3日、甲府市の柳町大神宮の節分まつりに出かけました。天気に恵まれて土曜日ということもあって、例年より人出が多かったように感じました。今年の目当ては鬼さん達に目通りする事です。これまでは鬼が未だ出て来ない時間に出かけていたようなので初対面を期待しました。
お馴染みの切山椒(きりざんしょ)というものを老舗の風月堂さんで求めましたが、ここの切山椒はきな粉がまぶしてあるもので年に一度の味わいです。

鬼が三匹(人?)うろうろしていましたよ。抱き上げられた幼児が泣いている一方で、記念撮影でハイポーズという子供もいたりして、皆さんに人気のある鬼達でした。
節分
節分

今回の収穫はもうひとつ「幕絵」を見られた事です。
甲府商工会議所地域活性化委員会が県立博物館所蔵の幕絵の複製を制作して街角に飾っていたのです。
これは初代歌川広重が描いた「甲府道祖神祭幕絵 東都名所 目黒不動之瀧」というもので、幅163cm、長さ1060.2cm、すなわち10メートル以上あるものでした。
複製の製作には1ヶ月以上、費用は百万円を超えたそうです。

幕絵

広重が甲府の緑町1丁目の人々に依頼されて制作したもので、20枚以上描いたと考えられるが、広重の幕絵で現存するのは県立博物館所蔵のこれだけとの事です。山梨県指定有形文化財です。

幕絵とは、小正月の道祖神祭りの時に、商家の軒先に巡らされた長大な飾り幕の事を言い、江戸時代の商家では、町内ごとに曽我物語とか京都の名所などの画題を決めて京の絵師や江戸の浮世絵師に制作を依頼し、趣向と贅をこらして競い合ったものだそうです。飛騨高山や川越は見事な山車で有名ですが、甲府では山車に代わる幕絵だったという話も面白いです・・・『山車を引き回せば甲府城や城下町に引き込んだ水路「甲府上水」が壊れてしまう。そこで山車に変わるものとして幕絵が飾られたというのである。』

街の通りの両側に幕絵が張り巡らされた絵をどこかで見た覚えがあるのですが、複製とはいえ実物を見たのは初めてで、驚かされました。
甲府商工会議所では、今後は信玄公祭りとか甲府大好きまつりなどの時に展示するそうです。

2007年02月04日の山梨日日新聞が記事にしています。

 甲府市中央4丁目の柳町大神宮近くに3日、歌川広重が描いた甲府道祖神祭幕絵「東都名所 目黒不動之瀧」が飾られ、大神宮祭に訪れた人々の注目を集めた。
 現存する3枚の幕絵のうち一枚を、甲府商工会議所が「かつての市内の風習や行事を知ってほしい」と、大神宮祭に合わせて複製した。実物と同じ横10メートル、縦1.5メートルで、江戸の目黒不動の境内の様子を描いている。
 幕絵飾りは江戸末期の道祖神祭の風習の一つで、庶民のあこがれだった江戸の風景画などを描いた幕を町中に張り巡らしたという。
 複製は、甲府えびす講祭りや商店街イベントでも飾り付ける。

商工会議所のリーフレットによると甲府市内の幕絵を飾る道祖神祭りは明治5(1872)年に廃止され、それに伴って幕絵もほとんど失われたとの事です。1872年(明治5年)に新暦を導入し、明治5年12月2日(1872年12月31日)の次の日(1873年1月1日)を明治6年1月1日と定めた(明治5年太政官布告第337号)という記事がありましたので、もしかするとこのような旧習の改革にともなう関連した布告に従った祭りの廃止だったのかも知れません。

しかし、興味深い「道祖神プロジェクト」のような記事や、NPO地域資料デジタル化研究会の「甲府市の道祖神」の写真にあるように、甲府市から道祖神そのものが消えたのでは無く、「新暦の2月14日に行われる道祖神祭り」も残っているようです。市街地で幕絵を飾る道祖神祭りが無くなったのだと理解しておきます。
都会っ子の異邦人には、甲府はまだまだ興味津々な街です。